勝訴をかち
とるまで
水戸地裁は3月18日、東海第二原発運転差止請求事件で、30キロ圏内に住む原告79人について請求を認め、被告の日本原電に対し「運転をしてはならない」とする判決を言い渡した。
判決は、深層防護1〜4層(原子炉の安全性)については、原告側主張が採用されまず、第5層の「立地審査指針」の趣旨と「原子力災害対策指針」を根拠として、「実現可能な避難計画や実行する体制が整えられていると言うにはほど遠く、防災体制は極めて不十分」とした。
被告の日本原電は翌19日、この判決を不服として控訴した。
原告団は23日までに、79人以外の原告(30q圏外居住者)も次の理由で判決を不服として控訴する方針を固め手続きを進める手続きに入った。@ 福島第一原発事故をふまえれば、人格権侵害は30q圏外にも及ぶこと、A 深層防護1層〜4層の判決に異議があること。
東海第二原発は78年11月28日に運転開始した。国の設置許可は72年、これに対し東海村周辺住民56人が異議を申し立て、これが却下されたため78年に住民17人で設置許可取消請求を水戸地裁に提訴した。水戸地裁は85年、原告の請求を棄却、04年に最高裁で敗訴が確定した。敗訴はしたが、この提訴によって育った反原発運動は持続した。79年の米スリーマイル島原発事故、86年のチェルノブイリ原発事故、また99年のJCO臨界事故の被害者支援など、原子力開発に抵抗する住民をつなぐ基軸となった。
東日本大震災により、運転中の東海第二原発は自動停止、津波などにより、電源喪失一歩手前までの危機的状態となっていたことが徐々に判明していく。
今回の差止訴訟は国と日本原電を被告に、12年7月に提訴した。13年7月、原子炉等規制法の改定で、原発の運転期間が原則40年と定められた。「あと5年」である。
日本原電は14年5月、新規制基準に基づく再稼働の審査申請を行い、18年9月に合格。また同年11月7日、原子力規制委員会は20年の運転延長を許可した。「あと3週間」が「あと20年」となった。原告側は戦術転換を行った。再稼働を認める認可がほぼそろったことから、地裁での審理を早めるため、国に対する訴訟を取り下げた。裁判は20年7月に結審、判決日は21年3月18日となった。判決日当日の原告は11都県に在住する224人で、提訴時から比べると、原告団顧問だった根本がんさんの死去などにより40人ほど減少した。
日本原電は22年末までの再稼働をめざして工事を進めている。
熱気の記者会見
と原告団集会
3月18日昼過ぎ、午後2時30分の判決言い渡しを前に、水戸地裁には傍聴券を確保するために支援者などが集まり始めた。244人が13席の傍聴券の抽選に並んだ。2時に予定されていた抽選結果の発表が遅れたため、発表を待たずに入廷行進をはじめた。
陽を浴びながら、地裁から左右に伸びる歩道上で待つ時間は短かった。3人の若手弁護士が「東海第二原発、再稼働認めず」「勝訴」「首都圏も守られた」をプリントされた旗を上下に広げながら地裁から駆けてきた。
地裁近くの会場で記者会見と原告団集会が行われた。ほぼ同時刻にあった広島高裁での伊方訴訟判決でも記者会見と原告団集会が開かれており、両会場はオンラインで結ばれていた。水戸会場のステージには「再稼働認めず!首都圏は守られた」とプリントされた看板が掲げられ、向かって右側に原告団、左に弁護団が並んだ。
海渡雄一弁護団共同代表は記者の「法廷でのガッツポーズの意味は」という質問に対し、「裁判長は険しい顔で入廷しました。険しい顔をする場合は経験上、特別な判決を行うときです。主文読み上げの最初が被告は≠ナはじまり、経験上勝った≠ニ確信してガッツポーズがでました」と述べた。被告は≠ナ主文がはじまるのは、被告に何らかの措置を命じるときであり、今回は「運転してはならない」であった。
深層防護1層〜4層については被告の主張を認め、5層について原告の主張を一部認めたことについて、「地元の原告団や支援者、地元の弁護士によって避難計画の不備の情報が集められ、地裁審理に集中させたことが最大の勝因だった」という。
大震災から10年目の行事や報道が集中する時期に判決日を持ってきたというなんらかの意味があったのかもしれない。たとえば前日の札幌地裁での「同性婚を認めないのは違憲」とした判決と同様、異動を前にした裁判官による英断という都市伝説≠フようなことだ。今年4月1日付の人事でこれは確認しておく。
「裁判長が女性
だからなのか」
記者からの質問や司会からの指名もない場面で、河合弘之弁護団共同代表はよく発言した。「それはちょっとね」と他の弁護士の説明を遮るような場面もあった。次の発言も他の弁護士が勝訴の要因の説明を補うように発せられた。「裁判長が女性だったから。地域に住み、気持ちがわかる」。
似た発言が報じられている。翌日の東京新聞茨城版に掲載された「女性の方が原発と住民、地域社会の在り方を考えてくれるのでは」という村上達也元東海村長の発言だ。記者の質問に応じた発言、あるいは村長時の共同参画行政を思い出したのかもしれない。一方、河合発言は法律家としてだ。今回の裁判長が就任した直後にも似た発言を原告を前に行っていたとも聞いた。
今回の裁判は3人の裁判官による合議制だ。地裁では、最高裁とは違って少数意見があっても公表されない。袴田事件の地裁で裁判官であった熊谷典道さんは被告の無実を信じていたが、裁判長を含む他の2人の裁判官が死刑を主張していたため死刑判決を書いたという。2人の死後の07年にこれを初めて告白、袴田さんへの謝罪がかない昨年に亡くなった。
河合弁護士は壇上に並ぶ原告や、会場の原告や支援者に向かって「勝利判決の勢いで住民運動を強めよ」と煽った。原発ゼロ「小泉純一郎」を操る「正義の弁護士」≠ニ週刊新潮から呼ばれた河合弁護士は、この間の茨城の住民運動などは眼中にないようにみえた。
まず弁護団が事実確認を行い、しかるべき処置を速やかに行うべきである。
一枚岩では
ない両陣営
筆者は「敗訴」を前提に判決に臨んでいた。「敗訴」の次は9月任期満了となる知事選挙だ。3年前の知事選で再稼働反対では、NPOを主催するつくば市の鶴田まこみさをん統一候補として闘った。県民投票条例制定を知事に求める直接請求運動につながった。昨年10月、つくば市議選が行われた。鶴田さんは無所属で立候補、予想を裏切って敗退した。知事選で大きな役割を果たした「つくば・市民ネットワーク」は現職を3人から4人に増やした。茨城県内で再稼働反対で連携する力が弱まっているのではないか、「敗訴」によって連携を強めることができるのではないかとの希望をいだいて判決に臨んでいた。
昨年12月24日、大井川知事は自民党の梶山弘志県連会長に推薦依頼を行った。規制委員会の審査に合格した原発の再稼働を推進する経産大臣に依頼するということは、再稼働を行うという宣言に等しい。県連は2月18日、党本部は3月12日に推薦を決定。公明党本部は判決当日18日の午前に推薦を決定している。
自民党県連は3月28日に水戸市内で開催される自民党所属の秋本真利衆議院議員(千葉9区)の講演会に待ったをかけた。主催は立憲民主党地方議員ら。県連は党本部で二階俊博幹事長と面会。秋本氏に講演の辞退を促し、従わない場合は処分を検討するよう申し入れた。超党派の議員連盟「原発ゼロの会」に加わる秋本議員は昨年12月、『自民党発!「原発のない国へ」宣言』を東京新聞社から出版し、各紙でも取り上げられていた。秋本議員は富里市議時代に法政大の社会人講座で野党時代に講師だった河野太郎に見込まれ、自民党千葉県連の公募を経て代議士となった。自民党内で無派閥≠ナある秋本は、菅義偉を「親父」、河野太郎を「兄貴」と慕う。
東海村から考
える気候危機
東海村は日本で2番目に人口の多い村だ。日本で一番人口の多い村は読谷村だ。データをみると面積、人口、人口密度が似通っている。面積に占める基地、あるいは原子力施設の面積も近いかもしれない。
今回の地裁審理の期間中、東海再処理工場の廃止が決まった。原子力開発機構による廃止計画では、70年の期間と最初の10年で2170億円の資金が必要だという。100年以上の期間と1兆円を超える資金が必要だと言われている。
再処理工場の目の前には、1月8日に運転開始した1基を加えて3基(合計出力265万?)の石炭火力が稼働する。送電線は、原発からとか火発とかは選ばずにでんきを運ぶ。
あと4年、「気候危機による壊滅的な影響を回避するために必要な、残された時間はあと4年」と、Fridays For Futureなどの学生を中心とした地域のグループや原水禁などのよびかけで活動するキャンペーン「ATO4NEN」は訴える。気候危機による壊滅的な影響を回避するために必要な、1.5℃の気温上昇に抑えるためには、2030年には10年比で温室効果ガスを半減させなければならない。そのため世界全体で20年から10年間の場合、毎年7・6%の削減が必要。25年から5年間の場合、毎年15・4%の削減が必要でこれはほぼ不可能と言われている。つまり、残された時間はあと4年ほどしかない。
判決前、原告団共同代表の相沢一正さんに両手を上下に広げながら次の質問をした。85年に掲げた「おら東京さいくだ」の旗はいまどこにあるのか。相沢さんは「あの旗は横長だった」と答えた。あらためて東海村から「首都圏も守られた」の意味も考えたい。
(3月25日 斉藤浩二)
※判決文や多くの資料が東海第二原発運転差止訴訟原告団事務局のサイトで閲覧できる。また、判決当日の記者会見などの動画も閲覧できる。
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